第84回福島腎不全研究会
昨日は、年2回ある福島腎不全研究会が郡山市で開かれました。
通常は土曜日に行ってきましたが、今回は多くの方が参加しやすいように日曜日の開催となりました。
午前中は一般演題。ランチョンセミナー後、震災関連の一般演題と震災についての各地区での経験を報告してもらうセクションでした。
ランチョンセミナーは、東京大学の福本誠二先生が『腎とカルシウム・リン代謝調節系』について最先端の知識を講演してくださいました。
午後のセッションでは、当院からも震災関連の演題を2題出させて頂きました。
『震災における対応課題』 入谷麻祐子
『震災前後での患者状態比較』橘健一
ホームページの学会発表にアップしましたので、ご覧になってみてください。
5月のアクセス数
5月のアクセス数が、104077アクセスで、一ヶ月で10万アクセスを超えました。
我ながらビックリです。
ちなみに、このブログの総アクセス数は、昨日の時点で143万3148アクセスでした。
ところで、最近のブログは放射線の話題ばかりで申し訳ありません。
それと、以前に書いた内容とその後書いた内容がころっと変わったりしてすみません。
山下教授の講演会は、自分が医師としてどうあるべきかを考えさせられとても良かったです。
でも、やっぱり、4才と7才の子供を持つ親としては、とても心配なのです。
だから、以前も書きましたが、
・放射線量が高いと言われる下水の汚泥を取り除いて欲しい
・子供たちが遊べる様に放射線量の高い公園の表土を削って欲しい。
・市街地の細かい放射線量マップを作成し、数値の高い場所に対する対策を立てて欲しい。
・給食は、当分の間これまで放射線が基準値を超えた事のない地域の物を使って欲しい。
・給食の食材がどこから来ているのか、きちんと明示して欲しい。
・夏休みに子供たちが県外で過ごせるサマースクールを行って欲しい。
ここの部分はこれからも訴えていくつもりです。
この間の講演会でもそう思いましたが、ネット社会による情報洪水の中で、右往左往しないようにして行かなければならないですね。
昨日の原口さんも慌てちゃったのかな。
一喜一憂しないように努力します。
山下講演会2
やっと安心と言い続けた経過が理解出来てきましたので、書きます。
また、聞いて良かった山下先生の言葉を書きます。
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放射線のリスクは明確に出来ないがリスクは否定出来ない。
100ミリシーベルト以上では発癌のリスクが有ることが分かっているが、それ以下では証明されていない。
決して安全ではない
事故直後は非常時であり、年間100ミリシーベルトを越えないようと言う最低限の約束がある。
(どんどん避難区域が広がっていった時期で、福島・郡山がパニックとなる可能性が有った事がバックグランドにあります。)
このような異常事態の中で、医療関係者がどの様に状況を理解して行動するかが大切だった。
震災直後の混乱時期に、対応を行うはずである医療従事者や県の職員が逃げ出さない状況を作ることが責務だった。
他のリスクとのバーターで、経済的な損失、人間関係の崩壊、生活のインフラの崩壊、その地を去ることのデメリットなどを包括的に考え、各個人が各個人の事情に従って線引きをしましょうと放射線防御の考えである。
現在の状況は、解らない見えないという以上に生活のインフラが崩壊し、応援団で有るべき周りが風評被害で浮き足立っている
正しく理解して正しく怖がる為には、誰がどういう意図やエビデンスで指示を作ったのか、その科学的根拠は何か、その情報源をオーソライズしているのかが大切。
しかし、現在の状況は情報の一元化がされてないく、情報の洪水があり、情報災害が起こっている。
チェルノブイリでは、事故後人工中絶を行った群と行わなかった群の比較が行われた。
事故後保証金が出た人たちは、仕事が無く、アルコール中毒となっていった人が多かった。
科学が起こした原発事故を科学の力で解決するためには、我々医療関係者が出来ることは、正しい知識を持って、フロントラインに福島の住民に正しく伝えることが医療従事者である皆さんの役割である。
医師となったら自分の為に生涯を捧げるのではなく、患者さんの為に生きる事が定めであり、それがいやなら医師を辞めるべきだ。
書かれた教科書の中に明日の医学はない。
目の前の患者さんの中に医学はある
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未だに幼い子供たちをどの様に生活させていけば良いのか、不安が一杯の中で、山下教授の言葉を繰り返して聞きながら、医師としてどうあれば良いかなんて考えている自分が居ます。
原発事故直後は、避難地域の方達がどんどん逃げてきました。
ほとんどパニック状態でした。
双葉病院で多くの患者さんが置き去りにされ、寝たきりの高齢者が亡くなった事が後に問題となり、実際には助けを求めに行った院長が警察に阻止されて戻れなくなっていたことが分かりました。
助け出された老人でも無理な移動で亡くなった方がたくさんいました。
同じような事が福島・郡山で起こったら、多くの動けない高齢者が命を落としていたかもしれません。
その事を考えると、医療者をパニックにさせないために安心と言う言葉を使ったのはやむ得なかったのではと思います。
後になって批判することは簡単です。
でも、その時に皆がパニックにならないように行動出来た人がいたでしょうか。
保安院や安全委員会は福島に来たのでしょうか。
先生は言っていました。
後日、全てが検証される事になると
ジャンボメンチカツ
先日、某先生のクリニックにお呼ばれして来ました。
ある方が、駅前にある和泉屋というお肉屋さんのメンチカツをおみやげとして持ってきてくれました。
大きさにビックリしました。
しかも一枚126円だそうです。
あり得ない値段です。
肉厚でとっても美味しかったです。
揚げたてならかなりジューシーではと思います。
このメンチカツは売れば売るほど赤字になる様で、1回5枚までの販売だそうです。
一枚もらって帰りました。
朝ご飯のために包丁を入れたところです。
5等分に切ってパンに挟んでもこの大きさです。
恐れ入りました。
実は、昨日も食べてしまいました。
お茶碗にご飯を盛り、刻んだキャベツを載せて、切ったメンチカツを乗せてメンチカツ丼にしました。
ジャンボメンチカツ2つで親子4人が大満足でした。
メンチカツの厚みがあって、キャベツとマッチしてとても美味しかったです。
写真取り忘れてすみません。
ただ、カロリーは高そうなので、頻回に食べるのはお勧め出来ません。
山下教授の講演会
先日、郡山医師会で医師会員を対象とした放射線健康リスク管理アドバイザーの長崎大学山下俊一教授の講演会がありました。
原発事故直後から福島入りして講演を行い、『安心・安全』を繰り返し、『100ミリシーベルトまでは安全』と住民に説明したとして、現在多く方から批判されている先生です。
実際に話を聞いてみたのですが、僕の印象はこれまでの聞いていた話と違い、この先生は信用できると感じました。
我々郡山の医師は、今までとても不安に感じていましたが、大学のDrが不安だと言っている話はありませんでした。
大学の後輩と話をすると、一度話を聞くと考え方が変わると言われていたのですが、恐れ入りました。
先生がこれまで広島・長崎のデータを研究したりチェルノブイリの経験から判っている事は、被ばく線量が100ミリシーベルト以下での放射線の影響は確認されていないということだけです。
これは、100ミリシーベルト以下で安全という事でなく、生活環境のリスクもあるため、影響が解らなくなってしまうと言うことです。
原発事故直後は、国際放射線防護委員会が緊急時の放射線防護を20~100ミリシーベルトとしており、その考えに基づいてパニックを抑えるための講演を行ったと言っていました。
そのため、『安心・安全』や『100ミリシーベルトまでは安全』という言葉が強調されていたのかもしれません。
4月になってからの講演では20ミリシーベルトとい話しているそうです。
山下先生は、震災直後の対応は今後全て検証されると言っていました。今後、『100ミリシーベルトまでは安全』が適切だったかについては検証されるでしょう。
しかし、振り返ってみると、原子力安全委員会や保安院は原発事故後かなり時間が経過してから来福しています。
本来は、住民の不安を納めるのは彼らの仕事だったはずですので、その事も含めて検証は必要です。
講演では、正しく理解して正しく怖がるために行うべき事を話してくれました。
現在のネット社会の中で、大量の情報が流れ、我々は何を信じて良いのか解らない状態が続いていますが、誰がどういう意図やエビデンスで指示を作ったのか、その科学的根拠は何か、その情報源をオーソライズしているのかが大切と話していました。
( authorize :正当と認めること。公認すること。権威づけること)
そして、強く印象に残ったのは、我々医師が、県職員が、歯を食いしばって頑張らなければならないことと、そのために医療従事者を重点的に対象として講演をしたことです。
すごく力がこもった言葉で、我々にとって重い言葉でした。
ただ、郡山にはもう1ヵ月早くきて欲しかったです。
私も医師として、不安に思う住民を良い方向に導く努力をしなければならないですし、なおかつ幼児をもつ親として、生活環境が改善されるように行政に働きかけていくことは続けたいと思います。
追伸)
講演で聞きましたが、県のアドバイザーとして有名ですが、国にも意見を言える立場として、講演会で聞いた住民の声を元に、様々な提言を行っているようです。
プロフィール
こんにちは、援腎会すずきクリニック院長の鈴木一裕です。