透析クリニックが被災して 1
3月11日に東日本大震災が発生してクリニックに大きな被害が発生しましたが、幸運なことに電気もすぐに応急処置ができて水道も止まる事無く、なんとか透析を再開することが出来ました。
ただ、インフラが崩壊してガソリン不足が生じ、それに追い打ちをかけるように福島第一原発事故が発生しました。
震災直後の1週間はとても辛い思いをしました。
未だに福島県では放射能に脅えながら生活しなければならない状況は変わりません。
ただ、我々も前に進まないといけません。
前に進むためには、今回の震災について検証を行う必要があります。
検証後分かった事を今後の対策に生かすことが大切です。
患者輸送を含めた大きな動きについては、諸先輩方が学会等で報告してきました。
僕は、透析クリニック院長として、自施設がどの様に被災したか、そしてどの様な対応をしたのか。
さらに、今後はどの様な対策を取っていった方がいいかについて、思うままにスライドを作成しました。
このブログは多くの方見て下さっています。
5月には10万アクセスを記録しました。
ですので、僕として出来ることはブログで公開する事かなと考えました。
かなり沢山のスライドを作成しましたので、次回よりシリーズで紹介いたします。
お勧めの本
お勧めの本をご紹介します。
患者視点の新しい透析治療―わかりやすい計画から実際の処方まで
政金 生人 (著)
愛Podで有名な山形の矢吹嶋クリニック院長の政金生人先生が透析についての本を出しました。
目次
適正透析・よい透析とはなにか
透析液清浄化の重要性
HD・HDFにおけるダイアライザの選択
MIA症候群の予防
愛Pod調査による患者愁訴のモニタリング
透析低血圧対策
かゆみ・イライラ・不眠対策
アミロイド骨関節痛対策
高齢者透析のコツ
透析プログラムの考え方
患者中心の療法選択
患者とのコミュニケーション
どのような透析が患者さんにとって優れているのか、大切なのかが書かれています。
目から鱗の内容です。
是非お勧めいたします。
- 2011.08.01
- 仕事 / 職場
大きな余震が有りました。
7月31日の深夜3時58分に福島県沖が震源のマグニチュード6.4の余震が有りました。
郡山市は震度5弱だったそうです。
前日はクリニックの暑気払いだったので、酔っぱらって寝ていましたが、さすがに強い揺れで目を覚ましました。
久しぶりの大きな揺れに驚きましたが、翌朝日曜日ですがクリニックに行ってきました。
2階透析室では、戸棚の物品の一部が落ちていましたが、大きな被害はありませんでした。
建物自体は姉歯問題で建築基準法が改正された後に作られた建物ですから、しっかりしています。
クリニックの外に出てみたところ、浄化槽脇のアスファルトがゆがんでいました。
ここは、本震の時はたいしたことが無かったのですが、4月11日の余震でダメージを受けた場所で、今回の余震でさらにダメージを受けていました。
余震の影響はまだあり、自宅近くのアスファルトの亀裂がさらに悪化していました。
亀裂が広がり、子供の靴が入るくらいになっています。
今回の地震では、県中地区の被害が大きいです。
本震では、福島市も郡山市も共に震度6弱なのですが、全壊した家屋は福島市が161戸に対し、郡山市が1879戸なんです。
人口はそれほど変わらないのですが、被害は10倍くらい違っています。
やはり、郡山湖の影響なのかもしれません。
福島第一原発事故後の放射能でによる精神的ダメージが大きい中で、大きな余震が起こるとさらにダメージが大きくなります。
もう勘弁してほしいですね。
- 2011.07.29
- 生活 / くらし
全原発停止なら失業者20万人増…エネ研試算
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原発事故が終息していない現状で、良くこんな事を発表できるなとただただ呆れます。
失業者が20万人と言いますが、現在避難している人も10万人くらいいるのではないでしょうか。
しかも、これは自然エネルギーへの転換を計ることで生まれる新たな雇用は全く入れていない数値です。
原子力発電を継続しないと貧乏になると言う事を書きたいのでしょうが、家を追われ、田畑を失い、職を失った人がたくさんいます。
60kmも離れた郡山や福島でも子ども達がどんどんいなくなっているのが現状です。
とても腹が立ちました。
避難所のボランティア医療班の活動
先日、医師会の夏の集いがありました。
郡山の避難所で診療をしている双葉郡医師会長・井坂晶先生(富岡中央医院/富岡町)の講演会が行われました。
題名は、
『東日本大震災に於ける避難所のボランティア医療班の活動』
でした。
原発事故の次の日早朝に1号機が水素爆発したため、避難指示が出され、30km離れた川内村に避難し、川内村の診療所で救護活動を行い、3号機爆発のため川内村と共にビックパレットに逃れ、ボランティア医療班活動を開始したそうです。
ビックパレットで、救護活動から始まり、精神面のケア、栄養食事指導、そして慢性疾患の管理、そして集団生活ですので感染症対策、エコノミー症候群の予防など幅広く活動された事を知りました。
着の身着のまま逃げてきて、なおかつ避難所で診療を続けてきた先生方の献身的な働きには頭が下がりました。
今後は、大玉村に仮設診療所を設置し診療を行っていくそうです。
たまたま、救護活動をしていた先生の1人が大学時代に一緒に救急医療を行っていた先生でしたので、久しぶりの再開で話が弾み楽しい時間を過ごす事が出来ました。
プロフィール
![援腎会すずきクリニック院長 鈴木一裕](https://enjinkai.com/wp/wp-content/themes/enjinkai/images/photo.png)
こんにちは、援腎会すずきクリニック院長の鈴木一裕です。