郡山市 未就学児 個人積算線量計 第1回測定結果
郡山市で行っている未就学児の個人積算線量計(クイクセルバッジ) 第1回測定結果が発表されました。
15000人の測定で、平均0.11ミリシーベルトでした。
これは、自然放射線被ばく相当量である0.06ミリシーベルト(約0.07μSv/h)を除いた数値とのことです。
合計すると0.18であり、未就学児である我が家の次男に付けていた線量計の値が、
10月 0.13ミリシーベルト
11月 0.2 ミリシーベルト
と同等でした。
一般人の被曝線量の限度は、自然放射線と医療で受ける放射線を除いて年間で1ミリシーベルトとされていますので、0.11×12=1.32ミリシーベルトとなり、まあ許容出来るくらいかなと思います。
ただ、これは内部被曝を含めていません。
福島では生活していくためにはこの内部被曝を極力少なくする必要があります。
年明けにセシウム降下量が急激に増えていることがネットで話題になっています。
これは、原発からまた出たと言う事でなく、年明けに風がとても強かったためにセシウムが舞い上がったからと思われます。
今後もこのような状況は続くでしょうから、我が子には風が強い日は舞い上がったセシウムを吸い込まないように子供にはマスクをさせて外出させたいと考えています。
そして学校給食の問題があります。
農家の方でも怖いので地物の野菜を子供に食べさせない方もいると聞いています。
いくら検査していると言っても万全ではないです。
福島の米で安全宣言後にボロボロと基準値を超えた米が出てきています。
何で父兄が反対している給食での地産地消を無理矢理強引に行うのかがよく分かりません。
今後もブログで訴えていきたいです。
記事数が1000回を超えました。
新しい記事で何を書こうか考えていたのですが、記事数を見たところ前回の記事数が1003番となっていました。
と言う事は、
2011.12.28
本日で今年の外来終了です。
が、1000番目の記事でした。
思い起こせば、
2008.01.21
開院のお知らせ
が、1番目の記事です。
ブログを書き始めてから丸4年経過しています。
これまでの
コメント数 859個
アクセス数 208万2933回
ありがとうございました。
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昨年の5月、8月は1ヶ月のアクセス数が1万アクセスを超えて、それが励みになってどんどん記事を書いていました。
最近は時間的余裕が無くて、書く頻度も減少してきていて、内容も福島で放射線と戦うブログ的になり、本来の透析関連記事も少なくなってしまいました。
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記事数が1000回を超えましたので、
新たな気持ちで、新年でもありますので、
『しっかり透析』
『泌尿器科診療』
『近況報告』
『放射線と戦う』
を中心に、内容を充実させて記事を書いていきたいと思います。
長崎平和記念公園
年末に博多・長崎に行ってきました。
と言うか、長崎に行きたかったのですが、飛行機のチケットが取れず、福岡空港経由長崎旅行でした。
長崎でいろいろな場所を観光しましたが、原爆資料館や永井隆記念館が年末年始のため休館で残念でした。
平和祈念像です。
原爆落下中心碑です。
ここを訪れるのは高校の修学旅行を含めて3回目ですが、何度来ても悲しい気持ちになりますね。
昭和20年8月9日午前11時2分、一発の原子爆弾が、この上空500メートルでさく裂し、一瞬、73,800人の尊い生命を奪い、76,700人の負傷者を出した。同時に、家屋の焼失11,500戸、全壊又は大破したもの6,800戸、この地を中心として、2.5kmに及ぶ地域が破壊した。その惨状は筆舌に尽くし難い。
ここに原子爆弾落下の中心地を示すためこの碑を建てる。
昭和31年(1956)3月 長崎市長 田川 務
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75年は草木も生えないと言われた土地が緑溢れた桜の名所になっているそうです。
なんだか勇気をもらいました。
これから75年は生きられませんが、子供たちが福島県は原発事故で放射線の被害が心配されたけど、何も起こらなかったと言ってくれるでしょう。
今度機会が有ったら広島にも行ってみたいと思います。
- 2012.01.01
- 生活 / くらし
明けましておめでとうございます。
明けましておめでとうございます。
年末に代診がお願いできまして、九州旅行に行って来ました。
患者さんには申し訳ないですが、学会や研究会以外で震災以来二日続けてお休みがとれたのは初めてですので、お許しください。
昨年は大変な年でした。
もう一生の間、経験したくないですね。
地震直後の透析室はひどかったです。
郡山、須賀川地区は特に地震の被害が大きく、断水や停電以外で建物自体が全壊となり透析できなかった施設も二件ありました。
皆、自分の事だけで精一杯で、無我夢中でした。
応援してくださった皆様に感謝いたします。
追い討ちをかけるように原発が爆発して放射能の恐怖を体験しました。とにかく辛かったとしか言いようが無いです。
やっと月日が経過して通常の生活となりましたが、放射能の被害は今後も続いていきます。
現在でも数万人が避難地域以外から自己避難で県外に出ています。学校では屋外で遊ぶ時間が制限されています。
東京だったらニュースとなるような数十マイクロシーベルトの場所が街のあちこちにあります。
夕食の時は、今日はどこの食材だから大丈夫と言う会話が普通に行われます。
子供たちの為にと言う理由で父兄が呼び出され、除染活動をさせられます。
それが福島の現状です。
今後もこの状態は年単位で続きます。
ただ、放射線を心配せず、安心して子育てができる福島を取り戻すために今年も頑張っていこうと考えております。
- 2011.12.28
- 生活 / くらし
朝日新聞朝刊の「プロメテウスの罠」より
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10ベクレルとかは明らかに少ない数値です。
郡山はたぶんその10倍以上の内部被曝を浴び亭マス。
それでもシーベルト換算するととても低い数値となり、全く心配する数値では無いです。
不安に思うことは無いでしょう。
それでも心配する人は多いです。
小さい子供を持つ親は特に心配しています。
行政が内部被曝について大丈夫だと言い、学校給食に地元米を出し続ければ、福島県から人が減っていきます。
僕はその現状を目の前で見ています。
郡山で医者が減っているのは現実です。
薬剤師も減っています。
この状態が続けば、救急の対応が出来なくなります。
ただでさえ医療崩壊が進んでいる福島県ですから、大変な事態です。
医者がいなくなるのはとんでもないとどこかの市長が言いましたが、いなくならない為も努力をしていない行政の責任は重いです。
いい加減、考えを改めて欲しいですが、無理でしょうか。
今年の記事はこれが最後になります。
皆さん、よいお年をお迎えください。
プロフィール
こんにちは、援腎会すずきクリニック院長の鈴木一裕です。